第一回 武蔵野の墓、確認参りの巻
50代半ばにまで至ったものの、子どももなく、引き続き仕事と生活に追われている都会暮らしの身。夫も私もお墓のことなど考えたこともないというか、なくてもいいかもとさえ口にするくらい漠然とした無責任をかこっていますが、こと親のこととなればそれは身につまされる話。
現在アラウンド90の母は、父に先立たれてからボケなし杖要らずの高齢単身生活を20年ほど田舎で送っていますが、何かと用意のいい人間であるのがわが実家の墓事情を大きく左右してきました。父は次男で収まるべきお墓は特にないという境遇だったので、母は自ら収まりたいというか収まって守ってほしいお墓を60代で物色して、あこがれの武蔵野の一角の霊園の一区画を購入していました。その頃東京勤務だった兄も転勤族となって、東京近郊の墓にどれだけ意味があるのかさえ、不明になっていたのですが。
そして父が亡くなったとき、さしあたってということで田舎のお寺のお墓も購入して納骨したため、さら地のお墓が25年、わが実家の不動産飛び地みたいに存在しているというわけです。
私は一度購入前にさら地を見ただけだったので、霊園についてたいした記憶はなかったのですが、「武蔵野に墓地があって」と言葉にすればすてきな感じでまあ、稀に話のネタにはしていました。でも先日たまたまお墓周りの話を友人としていて思い出し、「あの墓地はどうなってる?」と田舎に問い合わせてみました。年間1万6千円の管理料を今は兄が払い続けている、7,8年前石材店のキャンペーン時に墓石も立てた、土地代(永代使用料)と墓石代と工事費で350万以上かかっている……と初耳の話ばかり。私ったら全部聞き流していたのだろうか……。ひゃあびっくり。とにかく一度見に行かなくては!
5月晴れのある日、霊園の墓参というか未入居?墓の確認&見学に出かけました。武蔵野は母のイメージで、私もてっきり中央線の西のほうだと思っていましたが、実際は、旧武蔵国の一角ではある埼玉県の南西のほう。高速の出口からはなかなかに近距離、農地が広がる場所で林の近く、小高くはなく眺めも開けてはいなく、のんびりとはしたところ。管理事務所は立派で、しかもうちの墓は入り口にありました。アクセス良好。コンパクトな敷地に黒々としたお墓セット、佇む。横型の墓石に刻んであるのは「和」の一文字です。これもこのたび初めて知りました。兄嫁のお母さんも入らせてほしいと言っているのだとか。もともとは何のご縁もないもの同士がお墓の中に亡くなった後に集結し・・・たしかにお墓の内外の世界ともに「和」がポイントとなりましょう。霊園全体で300区画はあるでしょうか。いやもっと? といっても25年でもテナントが満杯までにはなっていないようです。ちなみに今同じ広さの場所を購入すると当時の金額(永代使用料)50万では買えないのでしょう。
私の頭の中にはなんら憚る話題はなく、こんな立派なお墓が25年使用せずにあるのはなにかもったいない? 母が亡くなればいずれは父とともにこの中へ越して来るのだろうけど、兄の子どもたちが墓参りしてくれることまでは想像がついても、母はひ孫にも会ってから墓に入れたらいいのに。どちらにしてもあと5年から10年ここはこのまま?などと考えつつ、平和な無人?の墓に手を合わせて武蔵の田園を後にした私です。
武蔵野(?)の田園風景
霊園内のツツジがきれいでした
新緑の季節です