そこにある、お墓のかたちに思う。女性視点で自分にふさわしいお墓や終活について考えるコラム(第2回)

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女の「終活」見聞録

第二回 そこにある、お墓のかたちに思う、の巻

 土地買って25年、墓石建てて7、8年。でもまだ中には誰も入っていない、わが実家の墓の話、続きです。埼玉県南西部の田園地帯に位置する霊園内にありますが、前回、初めて参ってみた話を書きました。

分譲霊園みたいなところに行ったのも実は初めてだったので、何かともの珍しく感じられたのも正直なところです。整然と区画が分けられた土地に、ぴかぴかしたお墓が所狭しとばかり、統一感をもってずらりと並ぶという、今やよくある光景。ひたすらクリーンでぴかぴかなのは墓石の材質のせい? 御影石系が多いからなの?そして興味深かったのは、やはりいまどきの墓石のつくり、デザインです。

 

 縦型の従来の純日本タイプより、一文字とか数文字を入れる横型の墓石が多いのだなあと関心。3分の1くらいです。縦型の中では「○○家之墓」と刻んである墓石が目立ち、横型の墓石に刻んであるのはもう、いろいろ。仏教の墓の形を踏襲しながらも西洋スタイルをとりいれた形、うちの場合もこの一般的な傾向に沿ったものでした。刻まれているのは・・・、初めて知りましたが、「和」の一文字。霊園を流して見るに、一番人気の一文字です。このほかに多かった一文字パターンは「風」や「憩」など。「和」とは母が選んだ銘ですが、兄嫁のお母さんの入居(そんな感覚です)も想定しているということで、一気に意味をなす一文字だとも言えます。

 

 もし自分の墓に一文字を注文するなら何がいいかな、「風」は悪くない、「飛」とか?  ああ「楽」とか?? まるで心の疲れをはかる心理テストです。本気で考えちゃあいません。そういえば、最近友人がお母さんのお墓を作った話を聞かせてくれていました。彼女のお母さんは生前からお父さんとふたりで話し合い、一家の墓には一文字、「無」と刻むと決めていたので、その銘を選ぶ仕事はなかったが、墓を建てる費用はがんばって奮発したそうです。小津安二郎や松田優作の墓石に刻まれているこの「無」の文字。スタイリッシュだなあと思っていましたが、意外にも一般的に使われているようです。この霊園でも見かけました。生きるの死ぬのも無なのか、そんな達観を表すのもすごいと思います。かたや「和」というのも、やさしげな一文字のようで、けっこう度量のあることば、しかも凝ったかんじがないのは好感がもてる、とあとづけ的には思った次第。

 

 ところでわが家の「和」、そうとうな達筆なのには、ちょっとばかり参りました。同じ字を刻む墓石でも、見て回ったところ、字の筆致にはさまざまな違いがあり、なんとわが家の「和」は霊園一?彫りが深く達筆すぎて、その筆の動きの激しいところ、鋭角的なカーブとか、はねとかには泥汚れが溜まってしまって掃除しづらいのです。浅く単純な掘り方なら楽なのでしょう。でも達筆のほうが厳かなかんじだし。とにかくポータブルの高圧洗浄機(あるのかな?)を今ここで使いたい! こんなことは、生前に自分の墓をデザインするひとも見送るひとも、あらかじめは露たりとも考えないことですね。しかし墓はすでに「有」のものとなっており、瑣末で目くじらを立てることではないとしても、リアルな維持の課題も生じるわけです。

 

 そこにある、というスパンがひとひとりの一生より長いものだから、本当に長い目でもって考えるべきことなのだと、お墓観を新たにしている私です。

 

整然と区画分けされた霊園

 

統一感をもって並ぶお墓

 

我が家の墓碑「和」の一文字