南のお墓の近くで風に吹かれる。女性視点で自分にふさわしいお墓や終活について考えるコラム(第3回)

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女の「終活」見聞録

第三回 南のお墓の近くで風に吹かれるの巻

 大正生まれの母は、父に先立たれひとり暮らしは20年以上になります。肺炎にかかってもタクシーで自力入院してしまう、そんなサバイバルせざるをえない環境が生きる力にも通じるのか・・・。一昨年のちょっとした長寿の危機も、約1週間にて自力で脱出、娘としてはご都合よく退院につきあっただけでした。

 それから私は、またまた薄情を絵に描いたような暮らしを続けています。仕事に頭もとらわれまくり、帰省すらしていないのも情けないところですが、こちらとて、今話題の下流老人への道を自らゆるめ、できれば阻止せねばならない身、理解はされていると信じまた、ほったらかし・・・。

 

 先日母から久しぶりに手紙が来ました。

“私もなんとか現状維持。ようやく風呂暖房をつけて入浴が苦になりません。玄関の修繕をしたり、家財もトラック一台出して終活をこころがけています。なかなか家が空にならないけど…”という内容。

がんばっているな。ひたすら尊敬。ここ最近、同世代の友人や後輩から親の介護をしている話をよく聞きます。50代にとっては既に身の回りにあって当然の話です。私といえば、親にも子離れさせるんだからと豪語して帰省もたいしてしない数十年だったけれど、実は親の自立力のほうが高かったのだ、と気づく今日このごろ。

 

 自分勝手な暮らしぶりの一環とばかりに、近頃は仕事の合間にささっと旅に出かけています。南の島方面が主な旅先ですが、近頃はどこかにすてきなお墓はないかと探す習慣ができているんです。

 

 長崎、五島列島の上五島では世界遺産指定を待つ珍しい石積みの頭ヶ島教会、信徒たちが石を切り出し積みあげたという建物を見学しましたが、傍らにあるキリシタン墓地もめあてでした。日本式の墓の上にクルスを載せたような折衷スタイルのお墓が並びます。その造形や洗礼名が入った墓碑銘などの独特の雰囲気もさることながら、小さな島を臨む入り江にある、というロケーションは心に残りました。こういう、墓から臨めるのがどういう風景かはやはり大切だなあと。5月に咲くマツバギクに覆われた墓地も美しそうです。島の入り組んだ海岸線を車でめぐると山の斜面に貼り付くように墓地が点在。キリスト教ばかりではなく、仏教系墓地も意外に多く信仰の厚さがよくわかる光景がたくさんありました。教会でのお葬式の列にも遭遇して、キリスト教って生まれたときも死んだときも教会のお世話になるのだなあ、としみじみ思ったり。長崎市内では観光に開かれたお寺の奥の、中国文化の影響を感じる墓地にもおじゃまにならぬよう、少しだけ進入?!

 

 3年ぶりくらいの沖縄、八重山地方では、沖縄らしい墓のチェックも怠りませんでした。南国の植物に囲まれ波の音の聞こえる場所。様式もさまざまあって”形”のことはあまり語れないけど、子孫が訪れてそこで長い時間を過ごすために設計された沖縄式の大きいお墓は、やはり本土の墓とはまるでちがう意味のある場所。沖縄のお墓での集まり(宴会?)に参加するのは夢、かな。人より牛が多い島、黒島にも初めて渡りました。牛が放たれた牧草地のなかに点在するお墓は風に吹かれてのんびりと、心がひろびろするロケーションでした。冬の季節風はもろに受けるわけですが。生まれたところと墓地の距離が近いという生き方&いなくなり方はやっぱりひとつのあこがれ・・・。

 南の地方のお墓のなにかおう揚な雰囲気、そして文化がミックスしている体裁と、お墓が営々と維持されている様子は、私にはお気楽にもまだ、興味深い文化の域の事象なのでありました。

 

 

 

五島列島、頭ヶ島のキリシタン墓地。
ゆるやかな傾斜地に背の高い墓石が並ぶ。

 

長崎市内、大樹の木陰の苔むしたお墓の風情。

 

西表島、海辺の南国的な茂みの一角、
広い墓庭を持つ家形の墓。

 

八重山諸島の黒島、牛を放している牧草地のなかのお墓。