第五回 お盆にもの思い、の巻
実家が遠く、自宅で先祖や家族の霊を祀るということもなく、ましてや8月のなかばに休みをとる習慣がない仕事に長らくついていた私です。お盆の行事とも縁遠い生活をずっと続けています。
今年は珍しく7月に帰省したので、実家のお盆準備の様子を確認してきました。
一人暮らしの92歳母が守っているのは23年前に他界した父の、市内の寺に建つ墓、そして父ひとりの位牌を置く家の仏壇、ということになります。ちなみに母の父母の墓や父の実家のほうの墓は、母や兄や私が何かをしなければいけないということもなく、その土地に根を張る親戚たちにお任せ状態。またさらに遠距離であるために私もずっと、お墓参りにも行けていません。わが実家も昭和の核家族のはしり。私が大人になってからもお墓参りとかお盆行事とかに熱心でなくても、特別責められることもありませんでした。
今回、実家のお盆情報的には、提灯を変えたことがちょっとしたトピック。小さいことですが、老人自身による老化対応策です。高価な布製のお盆提灯は防火上も虫食いを避けるためのメンテもたいへんだからもう使用は難しいと判断、ナイロン製で電気の灯を灯す簡易な提灯にしたと見せてくれました。提灯と一緒にしまってあったのはお盆用のお供えの食器?(というのだろうか)ひと揃い、どちら向きに供える、とのメモ書きあり。忘れますよね、たしかに。墓の草取りと清掃は6月のうちにシルバー人材センターに発注、お寺から経をあげに来てもらう件も適度にコンパクトにして…と準備はできている模様。こういう用意のよさではいつも感心させられます。しかし、来年も同じように、規模を縮小しながらも母自身が活発にお盆の行事をできるのだろうかという点が気になります。
母が亡くなってしまったときのことに話は及びます。「あなたが死んだら」とストレートな口調も許されるのが親子のいいところ?! お葬式でもなく、相続のことでもなく……弔って以降、お墓も含めて父母の霊をどう祀っていくのかがいちばん保留にしたい(大切でたいへんな)問題、な気がしました。父が死んだ23年前、私は覚えてもいませんでしたが母は「たんや」と言って35日まで一週間ごとにごちそうを作って人を招くという行事をしていたそうです。その後のお寺とのお付き合いのこともちゃんと責任を果たしてきた満足感が母にはあります。いや~、お盆の帰省さえおぼつかないのに、無理無理。手厚く自分の没後のこともやってほしいというより、自分が今までやってきたことが全く途絶えるのは寂しいという思いと、本気でいろいろやればそれはたいへんだよ、ということ。その後エンドレスで守っていくこと…。心はあるとしても形は?長男である兄がやってくれるのかな? こういった話にいまだ明確な結論はありません。
8月、実家の本チャンのお盆は、無事終了したと聞きました。
私はちょこちょこお盆も仕事をして、相変わらずで過ごしましたが、帰省した友人たちもお墓参りや、家の行事、町の行事などをつつがなく済ませたようです。
来年はどんなお盆が訪れるのでしょう?
実家のお盆用セット
お盆、他家の立派な仏壇
お盆の火祭り(近江地方)